さて、今回のコラムは「思い出の社内通訳」。

ずっと以前、英語通訳ガイドと英検1級に合格した後で通訳を始めた頃の経験をつづったものです。

2005年12月11日に配信したメルマガから抜粋してお届けします。

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政府開発援助の技術通訳者として登録する直前に、ある外資系金融会社で社内通訳翻訳の派遣業務をしていました。

それまでは、英語を使った仕事は単発でしか受けたことがなかったため、このときの体験は大変貴重でした。

まさに、英語でゴハンを食べていく!の第1歩を踏み出したときでした。

派遣の求人が新聞に出ていたので、登録していた派遣会社から応募することにしたのです。こういう内容でした。

「外国人スタッフチーム専属の社内通訳翻訳業務。 時給2000円以上。採用若干名。期間は3ヶ月限定」

関西ではこんな条件の求人が出ること自体が珍しいので、きっと応募者が多いだろうなあ~、と思っていました。

果たしてその通りでした。あとで知ったのですが、4名の採用枠に50名以上が殺到したそうです。

今考えると、私がそのうちの1名に選ばれたのは、単に運がよかっただけのような気がします。それまで、通訳の経験なんてほとんどありませんでしたから。

おかしなことに、採用後の主要業務は通訳なのに、なぜか、面接内容が通訳試験ではなく・・・

外国人の若手監査官チームのうち、女性2名が面接官になって現れて(ふたりとも20代のアメリカ人)、楽しく英語で雑談して終わり、でした。

そのとき私は、一応、外国人に受けそうなネタを自己PRに使ったのです。戦術、なんていうレベルではありませんが・・・。

インターン教師としてスイスで1年間過ごしたこと、アメリカ人の団体を京都に観光案内したガイド体験、フラメンコを趣味で習っていたこと、などなど。

これが気に入ってもらえて彼女らと意気投合したのですが、まあ、勢いで採用されたようなもんですね。

採用枠が4つあったのもラッキーでした。なぜなら、私以外の3人は、皆、通訳の経験のある方で、実力ではとうていかなうはずのない人たちだったからです。

驚いたのは、その3人ともが、同じ派遣会社から来ていた、ということです。

当時、一緒に仕事をした彼女たちによると、英語力を生かせる仕事の紹介は他の登録先より多い、とのことでした。

しかも、そのうちひとりの時給は、経験を考慮してか、私より500円も高かったのです。(派遣会社によって時給が違うこともあるようです。)

私は3ヶ月の派遣期間を終えてから、政府開発援助の通訳へと移ったのですが、同僚のひとりは、引き続き、フルタイムで来てほしい、と会社側から依頼されたのです。

この3ヶ月の派遣期間は非常に実り多いものだったので、今でもけっこう覚えています。

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今回のエッセイでは通訳の業務内容に触れていませんが、なかなか刺激的な職場環境でした。

アメリカやヨーロッパから来たエリート監査官8人に囲まれて仕事をしていたので、オフィスに1歩足を踏み入れたら四方八方から英語が飛び交っている・・・そんな不思議な日常でした。

首都圏とは違い、当時の関西では社内で英語を話すような求人案件は非常に少なかったのです。

このとき一緒に働いた同僚通訳の女性とは、今でも年賀状で近況報告をし合っています。